知的障がい者の定義とは
2015/02/18
知的障がい者を支援する法律は、「知的障害者福祉法」というものですが、
どの法律においても明確な知的障がいの定義はありません。
しかし、良くも悪くもサービスの整備をする為に、
知的障がいの範囲を決めなければいけません。
その知的障がいがあるか見極めるものの一つが、
「知的機能の障がいが発達期にあらわれ、日常生活に支障が生じられているため、
何らかの特別な援助を必要とする状態にあるもの」というものです。
よくよく考えると精神病と同じように、
その場にいる人の判断なので証明ができないようになっています。
定義がないので人の裁量です。
こういうところで障がい者扱いをされるのが困る人と、
サービスを受けられるので助かる人が二極化するのだと思います。
ただやはり思うのが人を判断するルールを決めるってとても難しいですよね。
そもそもそれが必要なのかも疑問ですけども。
例えば、
「国語」の点数が高いけど「算数」の点数が低い人がいて、
「算数」の点数が高いけど「国語」の点数が低い人がいるとします。
どちらが上でどちらかが下にしないといけないとしたら、
結局はその判断する人の価値観でしかないですよね。
知的障がいの場合は、
「国語」が低く「算数」も低い、
だから"障がい者”と決められているようなものです。
所謂、判断する人からすれば、
「国語」や「算数」は必要ないという概念がないのです。
結局自分たちの価値観により「障がい者」が生まれ、
自分たちの価値観によって”障がい者扱い”をして、
自分たちの価値観によって「可哀想」とか思ったりする。
これって所謂、障がい者からしたら、なんのこっちゃわかりませんよね。
彼らの中には、
「おれ算数も国語も出けへんけど10年先のカレンダーの曜日と日付は全部覚えてるし!」
っていう方もいてるでしょうし、
同じように、
「チラシを半分に折る作業を止められるまで同じスピードでやり続けることできるで!」
と言って多くの人が集中力を切らしてペースを落とすなか、いつまでも一生懸命に取り組める方もいてることです。
なので”必要な能力”として自分たちが勝手に決めたリストを
万人に押し付けて判断することは決して正しいと言えませんよね。
これを前提に踏まえて、
障がい者について考える必要があります。