私が考える障がい者支援について語ってみる
2015/02/14
障がい者支援の需要は高いにも関わらず、支援者が不足している現状。
また、人対人の仕事である為、障がい者支援者の質がその施設や作業所のサービスの質として問われるところである。
更には低賃金の上、入れ替わりの激しい業界でもあり、国と行政との繋がりから税金で管理されている特殊な職業でもある。
しかし、障がいのある子どもを真剣に育てている親にとっての不安の多くは、
「自分が死んだときに子どもが1人で生きていけるか」ということに尽きると思う。
今、家族ができることは本人(障がいのある)が社会のルールを学び、
自分の身辺のことは自分でできるようになるサポートをしていくこと。
また経済的自立ができれば、なお良しと考えているかと思う。
そんな中、いくら家族だけで頑張ったとしても限界がある。
それは親も仕事をしなければ生活ができなくなってしまうからだ。
そこで重要な存在になるのが、地域で働く “障がい者支援者” である。
彼らの協力なくしては、家族の不安を拭い去ることなどできない。
しかし、現状はどうか。
本当に障がいのある子どもや家族の将来を考えて支援している支援者は一握りにも満たないだろう。
理由は、多くの支援者の頭のどこかに「自分たちの方が優れている」という “錯覚” を起こしている人が多いからだと考えられる。
それは、自分たちにできることを“教えている”から起こるものだと思う。
例えば、100mを9秒とかで走るような陸上選手が自分よりも足の遅い人間は全て自分より価値が低いと考えるだろうか。
もし考えるとしたら、その選手は一流ではないだろう。
大事なのは、その人の目線に合わせて物事をみることができるかどうかである。
結局、そのような視線を持ち合わせなければ優秀な支援者にはなれない。
また家族の期待に応えるには程遠い。
但し、初めから何もかもできてしまう支援者はごく僅かで、
大抵の場合は幾度となく教育してOJTも入れながら伝えて行かなければならない。
もちろん初心者でも1人を徹底的に支援することは、少ない時間でも容易にできる可能性はある。
しかし、一度に10人の障がいのある方が来るなかではそうはいかない。
支援者1人につき、2~3人。 場所によっては、5~10人の障がいのある方を支援していかなくてはならない。
これでは、支援の質どころか単なる作業になり兼ねない。
支援とはサービスであり、サービスは、「作業」+「こころ」で成り立つものである。
「こころ」のない支援者は、作業員とも言える。
今の日本の障がい者施設には、いったいどれくらいの “支援者” がいるのか。
またどれくらいの施設が、 “作業員” を “支援者” に変える努力を形にできているのか。
このままでは、障がいある子どもと過ごす親に明るい未来はない。